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あさが来た モデル 広岡浅子 生涯 業績 [◆ あさが来た]

あさが来たヒロインのモデルになるのは、実在する明治の女傑・広岡浅子です。女性が社会の表舞台に出ることは極めてまれな時代に銀行や生命保険会社を立ち上げ、さらに、日本ではじめてとなる女子大学の設立に尽力しました。

広岡浅子は1849年、山城国京都(現・京都府京都市)の豪商・三井高益の4女として生まれ、1867年に大坂の豪商・加島屋の一族、広岡信五郎に嫁ぎました。この時、浅子は17歳です。この年11月の大政奉還で証文は紙きれ同然になり、加賀屋も総額900万両(4500億円相当)の「大名貸し」が返済されない状況に陥りました。

でも、夫は「金儲けは性に合わんねん」と三味線など風雅に興じるばかりで、倒産かという状況を救ったのが広岡浅子です。諸藩の蔵屋敷に出向き、逃げ回る家老らの首根っこを押さえ、少しでも返済を迫ったといいます。さらに男顔負けの太っ腹で、筑前潤野(うれしの)炭鉱を買収し経営に参画し、護身用のピストルを懐に、坑夫らと寝起きを共にしたといいます。その後、加島銀行や大同生命の創業にも参画しました。

1902年に家業を娘夫婦に譲ると、自身は日本女子大学校の設立に奔走します。また、国内の有望な女性を集めた夏の勉強会を開催するなど、女子の教育と地位向上のために尽くしました。

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